【宮小路瑞穂の憂鬱】

soliloquy.1 友だちは"いなかった"


「……ハァ」

 腫れものとまでは言わないけれど、
どこか異質な存在だったのだろうことは、
いまや疑いようもない。

 中学、高校と数年に渡り、異物としての
自分に気がつくことのなかった事実に結んで、
鏑木財閥の圧倒的な威力が僕をガッチリと
守っていたということもまた想像するに難くない。
そうでなければとっくのとうに、いろいろなことを
悪いかたちで思い知らされていたはず。

 要するにみんな、遠慮していたか、
もしくはいくらか畏れていたのだ。

 ――そういえば、といった具合に検証される。

 聖應女学院での生活が呼び水となって、
ふとした瞬間、後戻りのできない暗い潜心に
引きずられる。時間を忘れることもしばしば……

 フツーの転校だったなら、こんな憂鬱に
沈み込むこともなかったろう。

 ――開正にいたころ、級友らの浮かべていた
笑みが、時にひどくぎこちないものであったことは
認めざるをえない。

 検証を重ねるほどに、思い出が翳っていく。

 一片一片、噛みしめるほどに苦くなる。

 あのころは全然わからなかったけれど、
僕はずっと特別あつかいで、つねにそれとなく
観察される立場にあったんだ。

 更新され、色褪せ、損なわれる数年間。

 わずかに戸惑いのまじった粘っこい眼差し……
 いま遡ってつくづく実感される、あの熱っぽい、
 いやらしく絡む視線……ああ、もう!

 いささかの疑念もなく、むしろ好意的に受け入れていた
級友らを、いまになってそんなふうに評するのは卑怯だし、
それゆえ自己嫌悪を禁じえないところでもあるのだけれど、
女学院の生徒としてすっかりなじんでしまっている現状に
裏付けられることは決して少なくない。

 自分で言うのはくやしいけど……開正にいたころの、
つまり男子生徒としての僕は、その事実に逆らって
不自然きわまりないナニカだったのにちがいないんだ。

 ――王様の耳はロバの耳! ではないけれど、知らない
ところで物笑いの種になっていたのだとしてもおかしくはない。
そんなことが、自己憐憫もなくドライに察せられるのだから、
コトの全体はなおのことミジメ。

 紫苑さんやまりやは僕を「男の子」として、
はっきりと認識してくれているみたいだけれど、
でもやっぱり「男らしさ」みたいなものを感じとって
くれているのではなさそう。
 ……まあ、女装しているわけだし、こんなで
「男らしさ」を主張するのは図々しいんだけどね。

「……ハァ」

 化粧をして、胸にパッドを当て、念入りに
ごまかしてはいるけれど、聖應にここまで
違和感なく溶け込んでしまえる僕は、
どう考えたって「男の子」として異常だ。
そのことに確信を抱いてしまった。

 ――じゃあ、いまのいままで、鈍感だったから
平穏だったということ? いままでどおり自分の
"女らしさ"に無自覚な方がしあわせでいられた?

 もちろん、そんなはずはない。

 思い知ったいま、無頓着だったころのマヌケを
懐かしむことなんて、ぜったいにできない。

 ……もっとも、だからって、あらたまった自意識が
僕の生きざまをグッとよい方向に持ち上げてくれる
ということはない。そういうベクトルではないのだ。

 ――僕が転校したことで、もしかしたら
みんなホッとしてるかもね。ハハハ……

 種々の要素を鑑みて確言できることのひとつに、
「どうやら開正に友だちはいなかった」なんてことが
挙げられるのだからヤレヤレだ。タメ息の止まらぬ
マイナスの境地に立っているのである。嗚呼……

 ――つまり、いまの僕にとってつらいのは、
更新された記憶のごく日常的な細部なんだ。
この異常な生活がフツーに過ぎていくなかで、
失われたフツーの生活が疑わしいものとして
ゆらゆら揺らいでる。なんだろう、この感じは。

「あの、お姉さま?」
「……え、あ! は、ハイ?」

 頓狂な返事に、隣席の貴子さんはジトリと
訝しげな様子。不機嫌、といってもいいくらい。

 ええ、仰りたいことはわかりますとも。
 授業中にボンヤリもの思いに耽るエルダーなんて!
 ……ということでしょう?

「す、すみません、貴子さん。ちょっと考え事を
していました。その、授業中なのに……」

 数ヶ月前、まりやの根回しで(望んでもいないのに)
ちゃっかりエルダーに選ばれてしまった僕である。いまも
貴子さんに対して申しわけない気持ちがたなびいている。
しゅんと謝ると彼女はわずかに頬を緩め、しかしすぐに
キッと表情を引き締めて言った。

「お姉さま、確かにそのようなことでは困りますが……
それよりもですね、お顔色がすぐれないようでしたので、
差し出がましいようですが、保健室に――」

 思わず頬に手を当てたが、もちろん触ってみたからって
自分の顔色がわかるわけでもない。「考え事」の内容からして
自然と暗い表情をしてしまっていただろうけれど、貴子さんが
ただの印象的な判断でこんなふうに心配してくれるとは思えない。
僕は自分の身体に鈍感なところがあるから、どうなんだろう?
もしかしたら、本当に具合が悪くて、だからついつい嫌なことを
考えてしまったのかもしれないなあ。

「お姉さま?」
「……ふふ、何て言ったらいいんでしょう、
貴子さんは公正に優しい方ですよね」

 感嘆の思いから、言葉が反射的に紡がれた。

「公正に、優しい、ですか?」
「はい。貴子さんは私のぼんやりとした態度が
エルダーとして受容できるものではないとしながら、
それはそれとしてですね、やむをえない理由の
ありそうなことを看取するや、それこそ姉のような
お心遣いをくださいましたもの……」

 僕が言葉を切ると、貴子さんは一瞬おどろいたように
目をまん丸く見開き、しかしすぐにプイと顔を背け腕を組んだ。

「ななななんですか突然! わわわ私はただお姉さまが、
何となくですけど、悲しそうにしてらっしゃったから!」

「え……」

 悲し、そう? 今度は僕が目を見開く番だった。

 僕はそんなにも痛々しげだったのだろうか?
 僕はそれほどまで悲しい気持ちでいたのだろうか?

「あの、貴子さ――」
「――! あ、きききき起立! れ、礼!
お姉さま! 私としたことがつらつらと勝手なことを
申し上げ失礼いたしました! で、ではごきげんよう!」

 貴子さんはぎこちない挙動で周囲の机を
ガタガタと揺るがしながら、小走りに教室を
出て行ってしまった。
「……」
 時計を見やれば、なるほど確かにお昼休みの時間。
世界史の先生は貴子さんのあわただしい号令に圧され
キョトンとしていたが、生徒たちの親密なざわめきが
教室を満たすと、はなから何ごともなかったかのように
調子を戻して、手元の教材をトントン整えはじめた。
 取り残された僕はというと、どうにも宙ぶらりんで、
感情にうまく句点を付けられないでいる。
貴子さんとの短い対話を幾度も反芻しながら、
胸をわずかばかりどきつかせるのだった……。

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