【宮小路瑞穂の憂鬱】

soliloquy.2 曇り時々晴れ(後雨?)

 ――コココン。軽快なノックが夜の自室に響く。
返事を待たずにドアが開けられた。ということは……

「あのさ、まりや。ノックしてくれてもそのまま
すぐ入ってきちゃうんだったら意味ないと思うよ」

 ヤレヤレと椅子を斜めにずらして振り向くと、
まりやはノブを後ろ手に扉をソロリと閉めながら、
二ヒヒと悪戯っぽいごまかし笑いを浮かべていた。

「まあまあ、いついかなる時も警戒を怠らぬよう!
これもちょっとした訓練よ。何事もボロが出るのは
慣れてきたころなんだからね。フッフーン!」
 悪びれないどころか胸を張って講釈しはじめる。
まったくもう、まりやらしいとしか言いようがない。

「はいはい、気をつけます。それで、こんな時間に
どうしたの?」

 すでに十一時半をまわっている。もうそろそろ
勉強を切り上げようと思っていたところ。まりやも
すでにパジャマ(ネグリジェ)姿だった。

「うっへえ、瑞穂ちゃんってばこんな時間まで
勉強してるの〜? 期末なんてまだまだ先じゃない」
 まりやは僕の問いには答えず、机上に開かれた
参考書類を見やって苦い表情を浮かべた。

「あれ? 一子ちゃんは? どうしたの?」
「ん? ああ、礼拝堂でお祈りしてるんじゃないかな」

 そう、毎晩というわけではないようなのだけれど、
たとえば僕が勉強に集中しているときなどは、

「お気楽極楽な自縛霊の身に甘んじ自堕落な日々を
送っていたのではいつまで経っても二等兵のままですし
たまにはしっかりまじめにお祈りもしておきませんと
何か恐ろしいことになってしまうのではないかなと、
こう不安といいますか不吉といいますか、微妙ぉ〜に
嫌ぁ〜な予感もしてきてまして、つまり不信心すぎて
じ、地・獄・行・きの可能性ももしかした(以下略)」

 ……というようなことをまくし立ててふわふわ
飛んで行ってしまうのだ。でもまあ、僕としては、
一子ちゃんなりの心遣いなんだろうと思っている。
粗忽なようでいて、すごくしっかりしたコだから。

「へえ? それってなんだか、内実を知らない人が
目撃したら百パー七不思議になっちゃう光景ねえ」
「……そ、そう言われると、そうかもね」

 まりやは肩をすくめてゆっくりベッドに腰掛けた。
机を片付けながら、彼女が語りはじめるのを待つ。

「……ねえ、瑞穂ちゃん」
「うん?」
 さらに椅子をずらし、まりやを正面に見据えた。
どこか憂わしげだった。正直、僕はギクリとした。
幼年時代から、彼女のこういう表情を見てしまうと、
理由のいかんを問わず自身にふがいなさを感じる。
まりやにこういう顔をさせてはいけない、と……。

「今日さ、下校際に貴子のやつと西側階段で
すれちがったんだ」
「……貴子さんと?」
 意外な人物の名前が出てきた。まりやが犬猿の
仲である貴子さんのことを話題にするのはまれだ。

「そう。うへえ、嫌なやつと出会っちゃったなって、
そのまま無視して通りすぎようと思ったんだ」
「あのさ、まりや。貴子さんはそんな――」
「聞いて! 通りすぎようと思ったら、あいつ、
あたしに話しかけてきたんだ」
「……」
「《御門さん、そういえばあなた、お姉さまとは
"おさななじみ"でらしたそうですね?》って」
「ぼ、僕のこと?」
「そうよ、瑞穂ちゃんのこと。――要点だけ話すわね。
あいつが言うことには、瑞穂ちゃんが何か心配事を
抱えてるみたいなんだって。……物思いに耽って、
ひどく悲しそうにしてたって」
 今日の四限目、世界史の時間のことが思い出される。
そう、あの時、貴子さんは僕のことを「悲しそう」と――

「ねえ、瑞穂ちゃん。貴子のことはどうでもいいわ。
ただ……ただね、もしもここでの毎日がつらいのなら、
あたしなんかに気をつかわないで。嫌なら嫌って、
ハッキリ言って。ぜったいにガマンとかしないで!
あたしは瑞穂ちゃんを自分の遊び道具にしたくて
今回の件に噛んでるわけじゃないんだから!」

 自分の言葉にはげまされるようにして、急激に
語気を荒げていくまりやだったが、その眼差しは
自らを罰する者のように狂おしげで、いまにも
大粒の涙がこぼれ落ちそうなのだった。

 僕は椅子から立ち上がり、まりやのすぐ横に
腰を下ろした。そして肩を抱き寄せ、額にそっと
優しく口付けをした。まりやはキョトンとした
面持ちで目をパチクリ瞬いた。

「んななな! え? み、瑞穂ちゃん?」
「落ち着いた?」
「へ? あ、う、うん。あれ? ええっと?」

 数秒前の猛りはどこへいったのやら、
そわそわ落ちつかない様子で視線を泳がせている。
力を込めず、まりやをふわりと腕に包み込んだ。

「まりや、ありがとう。僕がつらく思っているのは
いまのことじゃなくって、むかしのことなんだ……
ひとりで抱え込むべきじゃなかったかもね。ごめん」
「……いま、じゃなくて、むかし?」
 まりやは僕の胸におでこをコツンと当て、つぶやいた。

「うん。聖應の生徒たちは、僕の出自とか容貌的な
特徴とか、そういう厄介な事実を知らないからなのかな、
みんな本当に……ふふふ、なんて言ったらいいんだろう、
"素"で僕に向き合ってくれてるよね。たとえば奏ちゃんや
由佳里ちゃん、あのコたちの僕……というか"私"に
対する気持ちに、不透明なところはないと思うんだ。
そういう"いま"を過ごしていると、むかしのことが……
つまり、開正での人間関係がどういうものだったかを
思い知らされて、時々ちょっとだけつらくなるんだ」
「瑞穂ちゃん……」
 まりやは遠慮がちに身じろぎ、僕の顔をじっと見つめた。
その表情は切なげでありながらも、強い意思の力が
宿ったようで、凛と美しく輝いていた。

「瑞穂ちゃんが開正でどんな日々を送っていたのかは、
そこにいなかったあたしにはわからない。勝手な憶測で
わかったふうなことを言うべきじゃないんだと思うけど、
でも言っちゃうね……鏑木財閥に媚びたり、瑞穂ちゃんが
普通の女の子の一億倍可愛いからって変な接し方を
するような奴らのことなんて、忘れて! うわべばっかりに
とらわれて、瑞穂ちゃんの本当にいいところを知ろうとしない
奴らのことなんて忘れて! あああ〜もう! ホント腹立つ!」

 ――僕としては、人と心を通い合わすことのない
毎日にすっかり麻痺してしまって、所謂「媚び」や
「好奇」の視線をも無感覚に受け入れていた過去の
自分自身が悲しいのであって、まりやが憤ろしく
吊るし上げている「奴ら」に対して恨みがましく
どうのこうのというわけではないのだけれど……
しかしそれでも、僕の傷心に強く想像力を働かせ、
共有しようとするまりやの温情はうれしかった。

「まりや……ありがとう。なんだか元気が出てきたよ。
やっぱりまりやは僕の一番の親友だね」
 自然とにっこり笑みがこぼれる。

「ん? あはは、んんっと? 親友、ねえ? うんうん」
 まりやは両手をスッと僕の顔に伸ばし――なんと!
親指と人差し指で僕の頬っぺたをギュッとつねってきた!

「ふわわわ! いふぁい! いふぁいお!」
「んんん? なんでだろ〜なんでだろ〜!」
 パッと指を離すと同時に、まりやはピョコンと
跳ねるように立ち上がった。

「い、痛いよまりや! いきなりなにするの!?」
 涙目で抗議すると、まりやは片手でゴメン!と
ポーズをとりながら、ヘラリと脱力気味に笑った。
「いやあ、なんだろうね? よくわかんないけど
手が勝手に、ね。にゃはははは……オヤスミッ!」
 まりやは僕の苦言を追い払うように手を振って、
ササーッと猫のように素早く逃げ去ってしまった。
まったく、あいかわらず行動が予測不能というか……。


 ――午前零時を過ぎた。一日が終わる――

 ぽさっとベッドに倒れ臥して、僕はまりやの
言葉を思い返しながら、いまのことでもむかしの
ことでもない、覚悟しておかなければいけない
"いつか"の悲しみに思いを馳せた。

 それは最初からわかっていることだった。
 最初から「悲しみ」に決まっていた。

 ――紫苑さんみたいな人はそういるものではない。
理由はどうあれ、いまの僕は多くの人をだましている。
もはや真実を語ることさえも大きな罪となるだろう。

「卒業は永遠のお別れ、かな……」

 そう、数ヵ月後には、
 宮小路瑞穂は鏑木瑞穂に戻るのだ。

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