【宮小路瑞穂の憂鬱】

soliloquy.4 メランコリーは終わらない


 聖應女学院礼拝堂における噂話。

 ――放課後、それも昏黒の大禍時(逢魔が時)。
聖母像の前で一人の生徒が祈りを捧げていたという。

 礼拝堂にはいつでも誰でも自由に出入りできる。
ことさら不思議に思うような光景ではないだろう。

 しかし、その"彼女"は夏服を着ていたのらしい。

 目撃した生徒が漠然なりと違和感をもって
受け止めたのは、ただその一点のみであったが。

* * *

「ごく一部の――目撃者と親しい生徒たちの
なかに、その"彼女"のことを、ゆ、幽霊などと!
面白がって触れ回っている人がいるようなのです。
 もちろん、そのようなことまで咎め立てをするほど
生徒会は狭量ではありません。聖應生らしからぬ
言行ではありますが、種があれば芽は吹くものです。
 ただ、制服の併用期間が終わって間もないとはいえ、
いまだに夏服を着ている生徒がいるというのであれば、
私としても注意する義務を負っておりますし、まして
その違反が怪談めいた騒ぎに発展してしまう可能性を
はらんでいるとなると、当然早めの解決が望まれます。
笑い話の延長線上にあるうちに収束させたいのです」
 貴子さんは少し青ざめた顔で早口に説明を終えた。
僕はといえば、心当たりありすぎて動揺を抑えるのに
必死だ。一子ちゃん、バッチリ目撃されてるよ……!

「そ、それに実は、他の生徒からも似たような報告を
何件か受けておりまして……考えると妙な話ですよね。
夏服など着てきたら登校時にでもすぐ気が付きますし、
一人の生徒が二度、三度と間違えるはずもありません。
先生方も注意されるはずです。教室で目立ちますもの。
数名の生徒がそれぞれ間違えていたのだと仮定しても、
目撃された場所が礼拝堂のみというのではおかしいです。
時間帯も夕方以降と、ほとんど一致していますし……」

 一子ちゃんもまるで無警戒というわけではないから、
生徒のいない時間帯にしか校内をうろつくことはない。
寮内でも、レーダーが付いているかのように寮母さんの
気配を察知し、見つかることなくいまに至っているのだ。
ただ、そそっかしい上に少々思い込みの激しいところが
あるから「この時間帯なら大丈夫!」と信じ切ってしまい、
目撃されていたことにまったく気付いていないのだろう。

「解決に至るかどうかはわかりませんが、明日金曜の
放課後、私が日暮れまで張り込んでみることにしました。
実は生徒会でも正式に議題として採り上げているわけでは
ないのです。まだそこまでの事態には発展していない、
というのが正直なところでして……要するに当該計画は、
生徒会長としてではなく『一生徒の単独調査』なのです。
そこで、お姉さまに折り入ってお願いが――」 

†×†×†×†×†×†×†×†×†×†

《 翌日 / 礼拝堂 PM 5:40 》
 
 というようなわけで、貴子さんと僕は放課後の
礼拝堂に二人きりで座っているのだった。

『お姉さまは寮にお住まいですからすぐにもお帰りに
なれますし、そうでなくとも、調査のパートナーとして
これ以上ない最高の人材です! ……それに、これまで
本当にいろいろなことがありましたよね。一度ゆっくり
お話する機会をいただきたいと、常々考えておりました。
案件にかこつけるかたちになってしまい恐縮なのですが、
その、お付き合いただければ、嬉しく思います……!』

 僕としても貴子さんとは一度ゆっくり話を
する機会が欲しいと思っていた。せっかくの
お誘いを断る理由はない。何より貴子さんの
必死な眼差しに射られては、誰だって首を縦に
振らざるを得ないだろう。男子ならば尚更だ。

「――お姉さま?」

「え? あ、すみません、ちょっと……」

「ふふ、お姉さまはよく考え事に没頭されますね」

「いえ、その、失礼しました。貴子さんが
いらっしゃるのに、私ったらぼさっとして」

 貴子さんはあわてる僕がおかしかったのか、
くすりと小さな笑声をもらした。

 ここに来てもう二時間ほど話し込んでいる。
僕らはいつの間にか親密な、やわらかい空気を
共有していた。昔ながらの友だちのようだった。
 ――エルダー選の時のこと、水泳サボり疑惑、
奏ちゃんの件など、僕らはそれぞれの見解を
曲げることなく、お互いを尊重できている。

「……かなり、暗くなってきましたね」
 早五時を回って、礼拝堂の中は暗くなっていたが、
電気を付けてしまっては潜んで待機する意味が無い。
貴子さんは鞄から小ぶりな電気ランタンを取り出し、
光量をぎりぎりまで絞ってからそっと机上に置いた。

「明日はお休みですし、七時までは……。
あの、ご快諾いただいたとはいえ、こんな長時間に
わたってしまって、本当に申し訳ございません」
 貴子さんは伏し目がちに呟き、頭を下げた。

「いいえ、私としても少々気になりましたしね。
貴子さんも仰っていましたけれど、考えてみると
妙な話ですもの。幽霊というのは論外としても」
 僕は昨晩、一子ちゃん本人から裏を取ったので
真相を知っていたが、考え込むフリをしておいた。

「ゆ、ゆっ!?」
「ど、どうしました?」
 貴子さんは「幽霊」という言葉に
過剰な反応を示した。

「い、いえ、失礼いたしました。そうですわ!
幽霊なんて、まったくもって論外ですわ!」
 キッと眉を吊り上げ、怒った声で僕に迫る。

「は、はい」
「コホン、お、お姉さまは、そういった噂話を
お好みですか? 怪奇趣味と申しますか……」
 か、怪奇趣味って……どういうニュアンス?

「い、いえ、そういう趣味はありません。でも……」
「でも?」
「神秘、と表現してよいのかも私にはよくわかりませんけれど、
人がある事象を特別な感得によって神秘の側へ位置することに
対しては、あまり否定的な見解を持ってはいないかもしれません」
 僕は堂内の大きな十字架を見つめながら、訥々と思うままに
言葉を結び合わせていった。

「……と、言いますと?」
 貴子さんは僕の言葉を咀嚼するように一拍の間を置いて、
そっと小声で促した。その声調はある種の緊張を醸したが、
彼女の瞳はなお融和的な輝きを湛えており、あたたかく
僕を迎え入れてくれている。

「例えば、そうですねえ……背景事情は即興も
いいところですが――あるヤクザ者二人組みが
敵対組織の伏兵に突如銃で乱射されたとしましょう。
それも十メートルと離れていない至近距離から」
 我ながらメチャクチャだ。もしもまりやに聞かれたら、
「そんなんじゃバレちゃうわよ!」と怒られるだろうな。

「す、すごいシチュエーションですのね」
「ハハハ……すみません、ホント思いつきなので。
ええっと、それでですね、それでも銃弾は二人に
一発も当たらなかったのです」
「え、そんなことって――」
「はい、そんなことは通常ありえませんね。
当然、無傷の二人もビックリします。一人は
『なんという幸運だろう!』とはしゃぎます。
でももう一人は『これは神の導きに違いない』と
感謝するのです。そうして"恩寵"を感じた後者は、
ヤクザ稼業から足を洗うことを決心しました」
「……」
 実際、僕はおかしな話を持ち出していた。
主題が幽霊の話から乖離してしまっている。
僕は弁解するように、早口でまくし立てた――

「かなり極端な例話をしてしまいましたけれど、
つまり、ある事柄を神秘的に受け止めることが、
その人を善くすることはありえると思うんです。
私としては、その全体的な仕組みの不思議さが
人間の根源に関わっているようにも感じますね」
「それは、その、宗教のことを仰っているのでしょうか?」
「そう、だと思います。私の神秘主義に対する基本的な
考え方といいますか……話を曲げてしまってすみません。
幽霊の噂は、ただ面白がっているだけだと思います」
「あ、いえ、そんな……とても興味深く拝聴しましたわ。
確かに、誰かが宗教的な感情から"お祈り"を捧げるのは、
その当人からすれば指向性を持った訴えかけでしょうけど、
傍から見れば、祈ることそれ自体によって昂ぶる新しい
感情にこそ意味があるわけですよね。そこには私も、
全体的な仕組みの不思議さ、人間の心の不思議さを
感じますわ。……幽霊騒ぎには閉口しますけど」
 貴子さんは僕の脱線を許容してくれたようだ。

「幽霊に関しましては、"存在の是非は不明"という、
真実のはっきりしない結果からの推測として、現実に、
私たちに心理的な影響を与えていることを考えますと、
それこそ"いままさに存在しているのではないか"とも
思われますね。極めて概念的、あやふやでありながら、
それゆえに"ある確かな感じ"を受けさせる現象として……
要するに、見えないけれども実はそこに在るモノらとして、
恐れる私たち自身の意識が生み出しているという――」
 これまた即興だが、僕は幽霊に関する考えをまとめてみた。
もっとも、僕は目に見える現実として日々幽霊と接して
しまっているのだけれど……
「つまり、幽霊は人から生まれ出でながら、あくまでも
"異なる世界のものであること"を前提として成立しているため、
"わからないことの怖さ"を至極具体的に感じさせる、と……」
「そういう意味では、今回の調査によって夏服の"彼女"を
特定できたら、聖應から幽霊は消えてなくなるわけですね」
「そ、そうですわね。そう願っておりますが……あの、もしも
見つからなかったら?」
「え? うーん、そうですねえ、迷宮入りとなってしまうと、
"いたかもしれないもの"として幽霊は居残ってしまいますね」
「……」
 ランタンの光に照らされる貴子さんの表情はどんより暗い。
まずい、貴子さんは怪談(?)に弱いようだ。話を変えよう。

「た、貴子さんはここ聖應でカトリック教育を受けられて、
その、信仰をお持ちなんでしょうか?」
「え? あ、いえ、私自身の道徳意識に結んで共感を
抱くところはありますが、そこに信仰はありませんね」
 貴子さんは堂内中央の聖母像を見つめながら言い切った。

「そうですか。私も、いままで無宗教の学校にいましたし、
貴子さんと同じく信仰心は持ち合わせておりません……でも」
「でも?」
「その、信じるべき神を胸に宿らせることはなく、なおかつ
それを望んでいないにもかかわらず、私は信仰を持っている
人たちのことをうらやましく思うことがあるような気がします。
特にキリスト教文学に触れているとき、そう感じますね」
「ダンテ、ミルトン、ゲーテ、トルストイ、ジッド……」
「そうですね、あるいはオコナー。人間的な優しさの根源に
神を見出す人々の物語が私たちの涙を誘うのはなぜでしょう?
それはやっぱり、そこに普遍的な真実が描かれているからで、
そう思うと祈る人たちの、その"祈り"が私にはまぶしい……」
「お姉さま」
 貴子さんは切ないような表情でじっと僕を見つめた。

「あ、ご、ごめんなさい。場所が場所だからでしょうか、
ついつい変なお話をしてしまいました」

「い、いいえ! 変なところなんてありませんでしたわ。
私たちに人として共有しうる善良さがあるのだとして、
そこに神を感じ、信じる人たちがいる、またそのような
人たちのことをうらやましいと思うのだとしたら、たとえ
信仰というものに懐疑的であっても、根ざすところは
同じですもの。お姉さまは、とてもお優しい方です……」

 貴子さんは頬を赤らめながら、ぽつりぽつりと語った。
愛らしい彼女の称揚に僕もまた顔を赤くしているだろう。

 ――貴子さんのことは、友だちと言えると思う。
「彼女もそう思っていますように」と心底から願っている
自分を発見する。と同時に、たとえそうだったとしても、
その友情が「お姉さま」との間に結ばれているものであることが、
狂おしく熱い棘となって胸奥に突き刺さっているのだった。
何をどう言い繕うと、「僕」はいまもまさに彼女を偽っている……

 沈黙したままの「お姉さま」を不思議そうに見つめる
貴子さんに対し、「僕」はぎこちない微笑で応えるのみだった。

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