積極!厳島貴子

《 鏑木邸−瑞穂の部屋 AM10:40 》

「……そういうわけで、ごめんなさい、
貴子さん。僕が出向かないと、どうにも
コトがうまく収まりそうになくて――」
 私が部屋に足を踏み入れるなり、瑞穂さんは
早口に状況を説明し、深々と頭を下げた。

 グループ関連企業の不祥事で、即時の対応を
迫られているとのこと。たしか、お父様は南仏に
出張中のはず。もちろん、留守を預かる代表格も
いるのだろうが、こんがらがった紛争の結び目を
一挙に解きほぐす力を持っているのは、財閥の
次代を担う瑞穂さんをおいて他にはいないのだ。

 とはいえ、ショックだった。なぜって、今日は私と
瑞穂さんの記念すべき十回目のデートのはずだったから。
(まあもっとも、それは私が勝手に数えていただけの話)

『入学前にもう一度、翔陽へ行ってみませんか?』

 瑞穂さんの発案に張り切って応じた私は、下手なりに
一生懸命、和風のお弁当まで作ってきたのだけれど……。

「いえ、"事故"はいつだって起こりうるものですわ。
私も厳島の娘ですから、実感を伴って想像できます」

 しかし、ここで拗ねるなんてとんでもないことだ。
私は努めて平静を装った。今回、瑞穂さんに選択肢は
なかったのかもしれないけれど、それでもきっと、
どこかで私のことを信頼してくれていたのだと思う。
こんなことで膨れっ面をしてはならない。絶対に。

「そう言っていただけると助かりますが、残念ですね。
僕がもっとも大切にしている時間を潰されるとは……」

 ……ああ、やっぱり慣れない! 瑞穂さんは卑怯だ!
サラリと胸をときめかせる言葉を口にするんですもの。
私はうつむいて頬の紅潮を隠した。胸が苦しい――

「――あ」
 瑞穂さんの両腕がそっと優しく背中に回される。
私は嬉しいような切ないような気持ちで、胸に耳を
押しつけた。瑞穂さんの心臓が静かにトクン、トクンと
鳴っているのを聴くのが好きだった。私がこんなふうに
甘えられるのは世界でたった一人、瑞穂さんだけ……

「貴子さん、かわいい」
 クスリと笑うような瑞穂さんの声が耳をくすぐる。
さすがにもう倒れなくはなったけれど、赤面するのは
どうしても抑えられない。自分が真赤になっているのが
わかると、私はますます恥ずかしくなってきてしまって、
そうなるともう瑞穂さんにしがみついていることしか
できなくなってしまうのだ……

「あ、あの、その、お時間は?」
 上目遣いにやっとそれだけを尋ねた。
窓から差し込む初春のやわらかい光を受けて、
瑞穂さんの顔は美しく輝いているようだった。
たおやかな微笑はエルダーだったころと変わらず
私を強く強く魅了する。まったく、抗しがたい。

「ええ、お昼ちょっと過ぎに出れば間に合います。
あと二時間弱ですが、のんびり過ごしませんか?
貴子さんのお弁当もいただきたいですし、ね?」


 。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○


《 鏑木邸−瑞穂の部屋 AM11:20 》

(ああ、どうしましょう。もうあと一時間!)

 今日の私には目的というか目標というか、挑戦すべき
ことがひとつあったのだ。ふと"それ"を思い出してしまって、
気持ちがソワソワ、どうにも落ち着かない。
 ――瑞穂さんの部屋で二人きり、お茶を飲みながら歓談中の
今現在、私は"それ"を切り出すタイミングをじっと窺っている。

「――曰く、よい友情関係には3つのUが必要。つまり、
"うそをつかない"、"うらまない"、"うやまう"ですね」

「え? あ、そ、そうなんですか? 3つのUですか?」
 ドキドキしっぱなしでお話に集中できないでいる私……。
そう、今日は記念すべき十回目のデートのはずだったから、
たまにはせ、積極的に! 積極的にアプローチしよう、と!
 ……つまり、というか、要するに、というか、私はいつも
瑞穂さんに、き、ききキスしてもらってばっかりで、私から
瑞穂さんにキスしようとしたことがほとんどなかったから、
今日こそは今日こそは今日こそは、と思っていて――

「あの、貴子さん?」
「ははははハイ!?」
 瑞穂さんが可愛らしく(なんて言ったら失礼なの
かもしれないけれど)小首を傾げて私を見つめている。
私は"たくらみ"を見透かされたような気がし、
頭がクラクラしてきた。

「顔色が優れないようですが……」

 いっそ察していただければどんなに思い切れるか!
瑞穂さんったら、時々すっっっごく鈍感なんだから!
 逆恨みのスイッチが入って、瞬間湯沸かし器よろしく
すっかりカッカしてしまった。そのせいだろう、ついつい
頭で考えるより先に口が動いてしまって――

「み、瑞穂さん!」
「は、ハイ? どうしま――」

「私、今日、どうしても成し遂げたいことがあるのです!」

「え? 成し遂げ――」
 返事を待たずにぴょんと跳ぶようにソファから立ち上がり、
そのままテーブルを回り込んで瑞穂さんにズイと歩み寄った。

「あ、あの! あの、ですね。私、いっつも、その、
なぜでしょう、私ばっかり、私ばっかり――!」
 しかし、いざとなると、うまく説明できないのだった。

 ああ……

 空回りに次ぐ空回り。
 いっつも一人でどたばた大騒ぎ。
 こんな格好悪いところ見せたくないのに……!
 じわあっとくやし涙がたまっていく――

「貴子さん……」
 涙ぐんで立ち尽くす私の右手を、瑞穂さんが
両手で優しく包み込んでくれた。

「落ち着いて下さい。ね?」
「は、はい」
 瑞穂さんのひんやり冷たいたなごころが、
感情の熱をスーッと鎮めてくれるのがわかる。
左手を胸に当て、ゆっくり一度深呼吸をした。

「落ち着きました?」
 にっこり微笑む瑞穂さんを見下ろすと
くすぐったいような気持ちになったけれど、
もう動揺は(ほとんど)生じなかった。

「あの、瑞穂さん、お願いが」
「お願い、ですか? 何でしょう?」
 頼まれる側なのにもかかわらず、瑞穂さんは
期待に満ちたような眼差しを私に向ける。換言すれば、
私の願いを叶えることが自分の喜びであるかのように、
そう、混じりけない百パーセントの愛情をたたえて――

「キスを、さ、させてほしいのです」

 ああ! でも、いざ言葉にすると、なんて破廉恥な!
パッと瑞穂さんから逃れ、両手で顔を覆った。

「き、キスを?」

「は、はい。私、いっつもいっつも、瑞穂さんに
していただいてばかりですから……」
 我ながら思う、"消え入りそうな声"とはこのことだ。
指の間から瑞穂さんをちらりと窺った。

「えっと、その、何と言いますか、どうぞと言いますか、
あの、むしろそれって僕がお願いすべきことのような……」
 瑞穂さんは人差し指で頬をぽりぽりとかきながら、
めずらしく困ったような照れ笑いを浮かべている。

「あ、ありがとうございます。そ、それでは瑞穂さん、
申し訳ございませんが、どうか目をつむってください」

「え、目を? ですか?」
「だって、瑞穂さんに見つめられていては、
私、恥ずかしくてきっと無理ですわ……」

「え、でも、貴子さん、あの、僕たち
今までもっと恥ずかしいことも――」

「みみみみみ瑞穂さん!! と、とにかく!!
今すぐに!! め、目をつむってください!!」

 瑞穂さんは時々すっっっごくデリカシーがない!!

「は、はい!」
 ぴんと背筋を伸ばし、きゅっと目をつむる瑞穂さん。
その様子には緊張がありありと見えて、私はようやく、
ほんの少しばかりだけれども、余裕を取り戻した。

「「…………」」

 しんと部屋が静まり返る。静寂ではなく沈黙。

 ――。

 自然と手が伸びた。瑞穂さんの頭を、
指で髪を梳くように撫で下ろす。
通り抜ける指に抵抗感は一切なかった。

(なんて、しっとり、サラサラ……)

 するりとした感触が気持ちいい。
それになぜだろう、撫でているうち、
雪崩れるように愛おしさが増していく。
ずっといつまでもこうしていたいような――

「……ん」
 ピクッと全身を震わせ、瑞穂さんが薄目を開ける。
驚いて私は声を上げた。

「だ、だめ! つむったままでいてください!」
「わ! あ、す、すみません!」
 あわてて目をつむりなおす瑞穂さんの「すみません」に
"お姉さま"を思い出してしまい、ふっと頬がゆるんだ。

 つづけて中腰にかがみ、瑞穂さんの顔を見つめた。
それだけでもう私の心は甘く溶けてしまう。お化粧をして
いなくても、瑞穂さんは中性的というよりむしろ女性的で、
時に美しく、時に可愛らしく、時に凛々しい。こんな人が
私の……こ、こ、こ、恋人だなんて。
 私は震える指先を瑞穂さんの顎先に添えた。そうすると、
瑞穂さんの全身がクッとわずかに強張った。それとともに、
私の胸もドキンと高鳴る。

(瑞穂さん、瑞穂さん……)

 ゆっくり、ゆっくりと顔を近づける。私も目を閉じる。
 瞳の潤みから熱い涙がポロリと一粒こぼれ落ちた。

「――ん」

 唇が触れた瞬間、心身共々じんと痺れるようだった。
私は薄く目を開けてちょっとだけ唇を離し、しかしすぐに
もう一度、鳥が餌をついばむような仕方でキスをした。
 瑞穂さんの唇はちょっぴり乾いていて、私はそれを
潤すように何度も何度も、一生懸命にキスをし続ける。
瑞穂さんは私の気持ちを尊重してか、きゅっと目を
つむったままじっと動かずにいてくれた。

 いつしか私は立っていられなくなってしまい、
瑞穂さんの膝の上にチョコンと座り込んでしまった。
なぜだろう? 足に力が入らない。頭もふわふわして
しようがない……もう、どうしようもない、胸に身体を
こすりつけるようにして、抱擁をねだった。するとすぐに、
それと察した瑞穂さんが両腕でしっかり包み込んでくれる。

"きっと"じゃない。"絶対"、私は世界で一番しあわせだ。

「猫みたいですね、貴子さん」
「あの、その、が、がんばりました……」
 私がそうしたように、今度は瑞穂さんが
私の頭を撫でてくれる。ああ、こんなにも
気持ちのいいことってあるだろうか?

「貴子さん」
「……はい?」
 瑞穂さんがギュッと一際強く私を抱きしめる。

「十回目のデートだったのに、ごめんね」

 !!

「瑞穂さん」
「……はい?」

「大好きですっ!」

 両手を首に絡めて、力いっぱい瑞穂さんを抱きしめた。
そして、本日もう何回目かのキスをそっと彼の首筋に――

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